レッテルを貼るということ

もうずいぶん前のことですが、香港から南インドまで陸路を旅したことがあります。そこで気がついたのは、香港人と南インド人は同じ「いのち」だってことでした。

何を当たり前のことをと言われそうですが、虹が七色ではなく無数の色のグラデーションであるように、日本人とアラブ人はひとつながりのいのちです。

どこで何をしているか何者であるかの前に、私たちはまずひとつの「いのち」として生きています。戦争にしても差別にしても環境破壊も、この「いのち」が見えなくなってしまっているのが一番の原因ではないかと温ちゃんは思っています。

いのちはつながりの中で輝きます。つながりが失われるとき、いのちは生命力を失い、「わくわく」しなくなり、他者への思いやりや関心も失っていきます。

そしていのちのつながりを分断するのは政治経済などの外の世界と、あなた自身のふるまいの両方です。だから社会変革や反戦運動など外の世界を変える力と、自身の中のいのちのダイナミズムを取りもどすことは両輪のようにどちらも大切なこと、どちらか一方のみへの関心は不健全なのかなあと思っています。

いのちのつながりを見えなくしている一番の原因のひとつは「レッテル」です。職場や地域、サークル活動から宗教・国家・民族に至るまで、私たちは他者にレッテルを貼ることで、つながりを分断し、相手を敵とみなすことができるようになります。アカ・外国人・異教徒・ホモ・障害者・オタク・靴下をいっぱい履いている変な人・・・・

なぜレッテルを貼ることで人は差別的になったり暴力的になったりできるのでしょう。レッテルは人やものにつけられた正札です。そこに書いてあるのは書いてあるそのままの意味ではなく(日本人とは違う)中国人だったり、(正統派ではない)ブームに乗った人だったりします。そしてレッテルの隠された意味がいのちを分断させるトリックです。

レッテルの裏には他者との違いを持った私がいます。それはあなた自身がつけたあなたのレッテル、人は他人だけでなく自分自身にもレッテルを貼ることで、他者とは違う自分を商品としてアピールしています。

レッテルをはずすにはスマホを脇に置いてとことん目の前の人とつきあうこと、そして孤立しないことさせないこと

また、若い人たちにはこの国を飛び出して世界をいっぱい見てきて欲しいですね。温ちゃんとしては世界中の人たちの虹のグラデーションを肌で感じてきて欲しいです。

その積み重ねこそが、その繰り返しが、日本だけでなく世界中の戦争を防ぎ差別をなくしみんなが幸せになれるただひとつの道だと思うから。

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