情報の洪水の中で

オルタナティブな世界のキュレーションが必要かな

キュレーションの時代

ソーシャルメディア時代の情報リテラシー

脱原発とヨガとイクメンと玄米食、ネイティブアメリカンムーブメントと 布ナプキンと有機農業とどぶろく作りと第三世界の工芸品と田舎暮らし。 一見まったく無関係だけど、ある時代を通ってきた一部の人にとっては、 これらはあたりまえに相関しあっていて、 はっきりいっちゃうとひとつのポリシーというか ライフスタイルになっていることに気がつくかもしれません。 脱原発について語るサイトを開けば、 電気は足りていて核のゴミ捨て場がなくて、 原発は事故がなくても日々放射能を生み出して、 その構造自体が差別の上に成り立っているシステムであることが書いてあります。 また、有機農家のブログには、 貨幣経済にたよらずに手作りや自給自足に近い暮らしが どんなに楽しく豊かなものか書いてあって、 読んでいるだけで、そんな暮らしにあこがれるかもしれません。 でも多くの人(特に若い人たち)には、 それらの情報を読み解き有機的につなげることが 困難になっているのではないかなということに気がつきました。 理由は、情報の洪水。 マスメディアの時代には、 影響力のある解説者や権威のある学者の話を聞いたり、 好きな作者の著書を読むことによって 自分の価値観を形成していけたのかもしれません。 マスメディアオンリーの時代が終焉を迎え、 ツイッターやフェイスブック、ブログやYouTubeなどの ソーシャルメディアによって だれもが情報を発信し受信できる現在、 渦巻く情報の洪水の中で、 書いてあることの真贋、有用な情報のありか、 それらを読み解き、自分の価値観に沿って解釈することが かえって難しくなっているのかもしれないと思います。

キュレーションの時代

佐々木俊尚著「キュレーションの時代」では、 今日の同じ価値観を形成するコミュニティを 「ビオトープ」と表現しています。 そして世の中には無数のビオトープが存在していて、 それらは会社や地域、家族から国家をも超えて インターネットの双方向コミュニティの中で 絶え間なく生まれたり消えたりしていると語られています。 そして、成熟したコミュニティ(ビオトープ)には、 コミュニティ内で情報リテラシーを読み解き 意味づけして発信するキュレーターという人が 存在しているというのが特徴です。 たとえば信頼し共感できるブロガーのエントリー、 たとえば口コミサイトの信頼できるレビュアー、 たとえばいつもいい映像や音楽を提供してくれるYouTubeの投稿者など。 ぼくが最初に思いついたのが 糸井重里さんの主催する「ほぼ日刊イトイ新聞」 このサイトに集まる人たちがひとつのビオトープを形成していて、 糸井さんをはじめこのサイトのライターの方たちがキュレーターだと思うんです。 同じ情報に接しても 人によってその解釈はさまざまです。 でもそこにユニークな世界観を持つ人や きわめて詳しい専門家の視座を得ることができれば、 そのコミュニティは楽しく有意義なものになるはずです。 そこまでいかなくても、 ひとは簡単な解釈や視点を提供してくれる人がいれば きっとありがたいのではないでしょうか。 そんな役割を担うのがキュレーターです。

オルタナティブな世界観

冒頭の脱原発と布ナプキンとどぶろく作りの相関関係に戻ります。 これはあたりまえの人にとっては きわめて自明のことながら、 わからない人には何の意味合いがあるのか 探し当てるのは困難かと思います。 そして、どちらの世界も知っている私たちにとって、 オルタナティブな世界のキュレーターは魅力的に見えます。 有機農家の畑に行って そこで採れた野菜の料理をいただきながら 野菜作りの苦労話を聞いたり、 アジアの布の展示会に出かけていってインタビューしたり、 街の脱原発運動のリーダーのブログを紹介したり、 自然食やマクロビ、ベジタリアンの本やレシピを紹介したり (時にはそれを作ってみたり)、 これから少しずつでもこのブログで そんなキュレーターの役割を担っていきたいと 秘かに計画しています。 「NAVERまとめ」にはまねのできない、 ちょっとユニークな視座を持った キュレーションを展開していけたらなと思っています。 よろしくお願いします。]]>

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